先日、NHKのBSプレミアムで放送された「ペペロンチーノ」というドラマを見ました。
津波で店を流された、草彅剛さん演じるイタリアンレストランのシェフ・潔。
彼と、彼の周りにいる人たちの再生を描く物語です。
津波とか地震とか、直接的な言葉や映像は用いず、悲しみやむなしさを乗り越えた先にある、穏やかな幸福感が描かれていて、とても良質なドラマでした。
特に、終盤の大どんでん返しには、ちょっと驚きました。
印象的なセリフがたくさんあったのですが、私が特に心に残ったのは、「俺は被災者じゃない、俺は料理⼈です」という潔のセリフ。
彼が建て直したレストランは評判を呼び、雑誌やテレビで紹介されるようになります。
でもその紹介は、常に、潔が被災者である、という切り口。
ある日、コロナ禍で客が誰も来なくなった店に、ウェブマガジンの女性編集者がひとりで取材にやってきます。
彼女は取材を忘れて食事を堪能、後日、彼女がアップした記事には、「おいしい食事を提供する店」として記載されていました。「被災者」という切り口は、どこにもなかった。
その記事を見た潔は、彼女の元に走り、記事のお礼と共に、叫ぶようにこのセリフを吐き出します。
あの災害から10年。今日1日、ニュースやワイドショーではきっと、「被災者」や「復興」という言葉が嫌というほど飛び交うでしょう。
便利な言葉だけれど、被災していない人たちが安易に使うと、その言葉は何か空々しくなる。
何をどう頑張っても、「被災者」「復興」というフィルターを通してしか見てもらえないと感じる人たちが、たくさんいる。中には、深く傷つく人もいる。
そんな当たり前のことに、改めて気付かされました。
東北地方では再放送があるらしいですが、地上波での全国放送を検討してほしいなあ。
コメント