60年前。
私が産まれた日は、父の給料支給日(当時は給料は手渡し)。父はいつものように給料袋を開封して酒を飲み、ふーらふらと帰宅途中、母方の祖母(父からすれば義母)に遭遇。
「あんた何してんの! 子供が産まれたんやで! 早う、病院に行きなさい!!」
(注:私が誕生したのは、夜10時頃です)
祖母から一喝された父、びっくりして、その足ですっ飛んで病院に行ったそうです。
「あの時はむちゃくちゃ怖かった」と、生前の父は何度も言ってました。
50年前。私は小学4年生。
陰気くさくて、学校ではそれほどしゃべらなかったので、友だちもほとんどいませんでした。
小学3年生の頃、結構陰湿ないじめに遭っていたこと、さらに、3年生から4年生は持ち上がりで、担任もクラスメートも全く同じだったこともあり、学校生活が全く楽しくなかった頃でした。
40年前。父がくも膜下出血で倒れました。
20歳の誕生日の前日、母の代わりに父を病院に連れて行きました。診察室にひとりで入っていく父を見送ったのが、父が自力で歩く姿を見た最後でした。
その後はあれこれ大騒ぎになり、20歳の誕生日はどっかに吹っ飛びました。
30年前。母が59才で亡くなりました。
前年、乳がんが発覚、倒れた時には既に小脳に転移していて、ほぼ手遅れの状態でした。1年もったのが奇跡だったと思います。
20年前。当ブログの前身ブログ「ひーのためごと」をスタート。
10年前。ダンナと数十年ぶりに偶然再会。翌年、結婚することに。
そして先日、60才の誕生日を迎えました。
母が亡くなるまでは、基本的に母の言うことが絶対だったので、母の価値観が私のすべてでした。
母に反抗もしたけれど、最終的に「あきらめる」ことで、自分を保ってました。
しかし母が亡くなった年に30代に突入、父のことも含め、自分で決断しなければならないことが増えたこともあり、それまでの自分を振り返ることが増えました。
「うちの家って、両親って、もしかして変だった?」と、客観的に見ることができるようになったのも、30代以降。
それまでの自分、そして家族のことを振り返り、気持ちを整理するために書き始めたエッセイを、メールマガジンとして配信していたのも、30代の頃です。
この経験が、後にブログを始めるきっかけになりました。
当時勤務していた会社で、背任・横領事件に巻き込まれたり、両親が建てた家を建て替えたり、車の免許を取ったりしたのも、30代。
家を売却してマンションに引っ越し、さらに父がガンで亡くなったのが、40代の頃。
必死に走り続けた日々が終わった頃、ぐだぐだの更年期に突入、心身共に不安定になり、婦人科への通院がスタート。
50代に入ってすぐに結婚しましたが、私にとっては大きな環境の変化で、情緒不安定になってしまった時期もありました。更年期のしんどさは50代半ばまでダラダラと続き、さらに、50肩の痛みに苦しむこと、約2年。
しわや白髪が一気に増え、完全におばちゃんになってしまいましたが、50代後半に更年期を脱出、やっと心身共に落ち着きました。
60代は、どんな日々が待っているのだろう。
60才の誕生日は、表面上は、普段と変わらない1日でした。
でも、母の年齢を追い越した日でもあるので、私にとっては特別な1日。
59才で亡くなった母の年齢を超えられるだろうか、60才で私の命は終わるんじゃないか。
そう不安に思っていた若い頃の自分に、「ちゃんと生きてるよ」と声を掛けてあげたいです。
本当に遠いところまで来てしまいましたが、これからも私の人生は続いていきます。
今後も、マイペースで、歩いて行きます。
60代の日々も、「なんでもない1日」を、ずっと積み重ねていけますように。
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