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2004年から2009年まで更新していたブログ「今週のすぎやん」の内容を抜粋・修正し、ブログには書ききれなかった作者の思いや後日談なども新たに書き下ろしたエッセイ。

60才。

水色の花 近況報告
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60年前。
私が産まれた日は、父の給料支給日(当時は給料は手渡し)。父はいつものように給料袋を開封して酒を飲み、ふーらふらと帰宅途中、母方の祖母(父からすれば義母)に遭遇。

「あんた何してんの! 子供が産まれたんやで! 早う、病院に行きなさい!!」
(注:私が誕生したのは、夜10時頃です)

祖母から一喝された父、びっくりして、その足ですっ飛んで病院に行ったそうです。
「あの時はむちゃくちゃ怖かった」と、生前の父は何度も言ってました。

50年前。私は小学4年生。
陰気くさくて、学校ではそれほどしゃべらなかったので、友だちもほとんどいませんでした。
小学3年生の頃、結構陰湿ないじめに遭っていたこと、さらに、3年生から4年生は持ち上がりで、担任もクラスメートも全く同じだったこともあり、学校生活が全く楽しくなかった頃でした。

40年前。父がくも膜下出血で倒れました。
20歳の誕生日の前日、母の代わりに父を病院に連れて行きました。診察室にひとりで入っていく父を見送ったのが、父が自力で歩く姿を見た最後でした。
その後はあれこれ大騒ぎになり、20歳の誕生日はどっかに吹っ飛びました。

30年前。母が59才で亡くなりました。
前年、乳がんが発覚、倒れた時には既に小脳に転移していて、ほぼ手遅れの状態でした。1年もったのが奇跡だったと思います。

20年前。当ブログの前身ブログ「ひーのためごと」をスタート。

10年前。ダンナと数十年ぶりに偶然再会。翌年、結婚することに。

そして先日、60才の誕生日を迎えました。

母が亡くなるまでは、基本的に母の言うことが絶対だったので、母の価値観が私のすべてでした。
母に反抗もしたけれど、最終的に「あきらめる」ことで、自分を保ってました。

しかし母が亡くなった年に30代に突入、父のことも含め、自分で決断しなければならないことが増えたこともあり、それまでの自分を振り返ることが増えました。
「うちの家って、両親って、もしかして変だった?」と、客観的に見ることができるようになったのも、30代以降。

それまでの自分、そして家族のことを振り返り、気持ちを整理するために書き始めたエッセイを、メールマガジンとして配信していたのも、30代の頃です。
この経験が、後にブログを始めるきっかけになりました。

当時勤務していた会社で、背任・横領事件に巻き込まれたり、両親が建てた家を建て替えたり、車の免許を取ったりしたのも、30代。

家を売却してマンションに引っ越し、さらに父がガンで亡くなったのが、40代の頃。
必死に走り続けた日々が終わった頃、ぐだぐだの更年期に突入、心身共に不安定になり、婦人科への通院がスタート。

50代に入ってすぐに結婚しましたが、私にとっては大きな環境の変化で、情緒不安定になってしまった時期もありました。更年期のしんどさは50代半ばまでダラダラと続き、さらに、50肩の痛みに苦しむこと、約2年。
しわや白髪が一気に増え、完全におばちゃんになってしまいましたが、50代後半に更年期を脱出、やっと心身共に落ち着きました。

60代は、どんな日々が待っているのだろう。

60才の誕生日は、表面上は、普段と変わらない1日でした。
でも、母の年齢を追い越した日でもあるので、私にとっては特別な1日。

59才で亡くなった母の年齢を超えられるだろうか、60才で私の命は終わるんじゃないか。
そう不安に思っていた若い頃の自分に、「ちゃんと生きてるよ」と声を掛けてあげたいです。

本当に遠いところまで来てしまいましたが、これからも私の人生は続いていきます。
今後も、マイペースで、歩いて行きます。

60代の日々も、「なんでもない1日」を、ずっと積み重ねていけますように。

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